2つの蔵の歴史を背負い、一途に醸す「杜氏潤平」
宮崎・日南飫肥の小玉醸造
九州の「小京都」と言われるように、宮崎県南部の日南市飫肥(おび)は、歴史情緒ある町並みが広がる。そんな旧城下町の一角にある小玉醸造に、2つの蔵の歴史を背負う男がいた。
金丸潤平さん。43歳の杜氏の実家はかつて、宮崎市で造り酒屋を営んでいた。その酒蔵「金丸本店」はなくなり、その後、縁あって小玉醸造を継承することになった。
金丸一家の酒造りの再スタートは、21世紀の幕開けから。それ以来、潤平さんは先頭に立ち、自らの名を冠した芋焼酎「杜氏潤平」を一途に醸す。蔵を未来につなぐためにーー。
休業状態の小玉醸造を引き継ぐ
小玉醸造の創業は江戸時代の1818年と伝えられる。屋号は「富士屋」で、飫肥藩主・伊東家発祥の地、静岡・伊豆にちなんだ老舗蔵。「冨士」という芋焼酎を製造していたその蔵は、平成に入って休業状態だった。
潤平さんはこのままでは廃業してしまう小玉醸造を、父・一夫さんとともに引き継ぎ、一家で飫肥に移り住んだ。2001年のことだ。
「飫肥に来た時は、まさにゼロからのチャレンジでした。知り合いはいないし、アウェー感満載でしたね」
潤平さんは当時を思い出すように笑い、言葉を続けた。
「金丸家が酒造りの家系なんだと胸を張って息子に言えるように、焼酎造りに励んできたんです」
幼きころ消滅した実家の酒蔵・金丸本店
潤平さんが幼いころまで存在した「金丸本店」は、明治時代から続く蔵で、焼酎のほかにも、清酒、味噌、醤油などを製造していた。一夫さんが5代目で、潤平さんは6代目になるはずだった。
だが、経営に息詰まった金丸本店は、大手の雲海酒造と合併することになった。潤平さんが小学生の時だ。「蔵がなくなってしまったのが、子供心にショックでした」
ただ、金丸家の血がそうさせたのか。高校に進学したころには、自身も父と同様に酒造業界で働きたいと思い始めていた。進学先は、父と同じ東京農業大学の醸造学科。「また家族で酒蔵ができたらいいね」。そんな話を一夫さんとし始めたのも、大学のころだ。
大卒後の進路は、埼玉の日本酒蔵・神亀酒造。「帰省したときに、父と一緒に飲んだ神亀のにごり酒がすごく美味しかったんです。そしたら、『うまいなら、紹介しようか?』と父が言うんです」。実は一夫さんと神亀酒造の蔵元は、東京農業大学の同級生。期せずして、潤平さんの修行先が決まった。
神亀酒造では、手作業での麹づくり(手麹)を知る。細かなデータを重視する清酒の製造現場で2年間経験を積み、地元の宮崎へ。「当時はサーフィンもしていたので、いつかは宮崎に帰って酒造りがしたいなと思っていたんです」。帰郷後、日南の京屋酒造など、宮崎の2つの焼酎蔵で蒸留酒づくりの技術を学んだ。
飫肥でしかできない焼酎にこだわる小玉醸造
小玉醸造を継承し、蔵の改修を経て焼酎造りを始めたのは、2002年11月から。こだわったのは、「蔵のある場所でしかできないもの」である。酒の味は、水、気候など、蔵のある土地の風土がつくりあげるものだ。だから、宮崎産の原料しか使いたくなかった。
「飫肥に溶け込めるような焼酎がつくれたら」と選んだ芋焼酎の芋は、地元の日南周辺で採れる「宮崎紅」。糖度が高く、食用として栽培されている。
そして、麹づくりは機械を使わず、手麹。日本酒蔵にも負けない重厚な麹室を新たにつくった。「手麹にこだわったのは、神亀酒造での経験が大きいです。いろいろな麹のつくり方はありますが、自分が一番やりやすかったんです」
当時、日本酒、焼酎と酒造りの経験は5年にも満たなかった潤平さんだが、「自分の中で形みたいなものができていたので、不安はありませんでした。むしろ、どんな酒ができるのか、ワクワク感が大きかったです」と振り返る。
「お前がつくったからお前の名前で」と父。「杜氏潤平」の誕生。
仕込み作業はほぼ1人。時折、「父にも細かい温度管理などの作業してもらっていましたね」。新たに生まれ変わった小玉醸造として初めての蒸留の日。蒸留器から出てきたハナタレのガスの香りを嗅いで、「うまいこといった」と安心した。そして、「これはいい酒になるだろうな」と確信した。
出来上がった焼酎の名は、かつて金丸本店で造っていた「宮の露」にしようと思った。幼きころに途絶え、いつか復活を夢見た銘柄だ。だが、一夫さんの考えは違った。「お前がつくったんだから、お前の名前でいいいわ~」。
「杜氏潤平」はすぐに雑誌に取り上げられて評判を呼び、さらに焼酎ブームの追い風を受けて順調な船出となった。一方で、まるで「自分の分身」のようなイメージを持ち、「世間はどう評価しているんだろうか?」と酒造りに気負いを感じさせる存在でもあった。
でも、15年を超える歳月の中で、蔵人の仲間が増え、気負いは消えていく。みんなで造った「杜氏潤平」という商品に、存在は変わっていった。
「息子が継ぎたい小玉醸造にしたい」と43歳の杜氏
自らの焼酎が国内で認知されてきた今、目標として掲げているのが海外市場への展開だ。アメリカのほか、イタリア、マレーシア、シンガポール、オランダ、ノルウェーなどに、潤平さんの造る焼酎が並び始めているという。
国内市場はこの先、人口減少で先細りしていく。そんな中で、引き継いだ蔵を未来に残していかないといけない。頭にちらついているのは、小学6年生になる息子への蔵の継承である。「彼が継ぎたいなと思える蔵にしていきたいです」
息子と一緒に酒造りをする日を頭に思い浮かべながら、43歳の杜氏は、焼酎を一途に醸し続ける。
小玉醸造
http://www.kodamadistillery.co.jp
宮崎県日南市飫肥8丁目1-8
0987-25-9229
手麹にかめ壷仕込みと昔ながらのつくりにこだわり、代表銘柄の「杜氏潤平」は宮崎紅を白麹で醸し、常圧蒸留で仕上げている。紅芋特有の甘さを楽しみつつも、飲みやすさも追求している。
黄金千貫芋を使用した「宮の露」も限定商品として復活している。