九州焼酎島

焼酎島,芋焼酎,伊佐大泉,大山酒造,山下昭悟
2018/01/19

大山酒造(鹿児島県伊佐市)

熱い杜氏の「伊佐大泉」

鹿児島県北部の伊佐市の冬は、南国のイメージとはほど遠い。周囲は九州山地の山々に抱かれた盆地で、氷点下になるほど寒い。2017年も残りわずかとなった12月下旬、芋焼酎「伊佐大泉」を造る大山酒造に到着すると、息が白い。ただ、出迎えてくれた杜氏は、ものすごく熱い男だった。

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杜氏の山下昭悟さん

「実は、僕は焼酎造りの道に入って、まだ日が浅いんですよ。大山酒造専務の大山大我は、同級生。8年ほど前に突然、『明日から来てくれ』と電話をもらいましてね。ほんと、めちゃくちゃな話でしたよ」。杜氏の山下昭悟さんは、笑って振り返る。

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大山酒造

大山酒造は1905年創業。「伊佐大泉」だけを手作業にこだわって造り続きてきた蔵だ。最近、飲食店や酒屋から、「伊佐大泉」の評価がすこぶる高い。そんな芋焼酎造りの現場を取り仕切っているのが、蔵に入って10年もたたない杜氏とは驚いた。

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ラベル貼りはレトロな機械で一本ずつ

幼なじみの電話で「伊佐大泉」造りへ

山下さんはもともとは、建設業。自ら起業して、仕事も軌道に乗っていた。そんな時に、大山酒造の跡取りの親友から、「蔵を手伝って欲しい」との電話。当時、リフォームの現場を2つ抱えていた。妻は反対した。でも、幼なじみの頼みだ。建設業を続けながら、アルバイトとして焼酎造りの現場に入った。「仕込みの期間だけ手伝うつもりが、いつの間にやら8年ですよ」

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出荷を待つ「伊佐大泉」が山積みになっていた

名人「阿多杜氏」が去り、味がぶれる「伊佐大泉」

バイトで入った大山酒造は、思いのほか楽しかった。見るもの聞くものが新鮮だった。当時の杜氏、南谷義昭さんの仕事ぶりをじっと見ていた。南谷さんは「黒瀬杜氏」と並び称される杜氏のプロ集団、「阿多(あた)杜氏」だった。

だが、山下さんが蔵に入って2年目、南谷さんが蔵を離れた。

新しい杜氏の指示を受け、山下さんは焼酎を仕込んだ。南谷さんがいた時と同じように作業をしている。でも、味は理想とは全く違った。「会社は今のままで良いと言うけど、自分は納得いかなかった」と山下さんは苦々しい表情で語る。「この時から3年ほど、伊佐大泉の味がブレるんです」

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背中に「杜氏」と書いたTシャツ

3年目で「伊佐大泉」の杜氏になった山下さん

3年目、山下さんが杜氏になった。悩みに悩んだ。頼るものが何もない。焼酎業界に入って間もないから、気軽に焼酎造りのことを教えてくれる、他の酒造会社の蔵人もいない。

造り方は、教科書を見ても間違ってない。でも、納得できる伊佐大泉ができない。麹室の中で、何時間も米麹を眺めていたこともある。本当に焼酎ができるんだろうか。「不安で、不安で、ノイローゼになりそうでしたよ」

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「伊佐大泉」を造る蒸留器

「お前は麹が造れないのか」と伊佐大泉の師匠

自分の記憶の中にある、うまかった伊佐大泉の味と、自分が造る伊佐大泉の味が、どんどん離れていった。4年目、恥を承知で、南谷さんに電話を入れ、家を訪ねた。かつての師匠は「今の伊佐大泉を飲んで、お前は麹が造れないヤツなんだと思っていたよ」と言って、続けた。「この伊佐大泉は、麹が出来過ぎているんだ」

「やっぱり麹がダメだったんです。すべては、麹だったんですよ」と山下さん。頭の中にずっと引っかかっていたことだった。

「米はもっと蒸した方がいいのでは?」「なぜ、もっとしっかり麹菌を付けないのか?」。山下さんが蔵に入った1年目、南谷さんの作業を見て、疑問に思った。でも、実際の理由はよくわかっていなかった。

山下さんは数年ぶりに会った師匠に尋ねた。「麹米はあえて、若めにつくっていたんですか?」

南谷さんは答えた。「そうだ。お前は、どこで焼酎造りのピークを持っていくのか、米を見た時にわからないのか」

焼酎の教科書では、米はしっかり蒸し、麹はまんべんなく均等につける。山下さんは教科書通りに造っていた。でも、南谷さんは理由があって米をしっかり蒸さず、麹菌をしっかり付けなかったのだ。決して手を抜いていたわけではない。麹を作り込みすぎなかったのは、焼酎がうまくなるための仕込みのピークを見据えて、やっていたことだったのだ。

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「伊佐大泉」は玄人から好評だ

「オレの伊佐大泉を造ろう」と吹っ切れる

かつての師匠に対し、山下さんはこんなことも尋ねた。「どうやったら南谷さんが造っていた伊佐大泉になりますか?」

南谷さんは言った。「おれが造っていた伊佐大泉は、おれの伊佐大泉だ。真似ることはできても、同じものはできない。おれの造った焼酎に寄せようと思っているんだったら、間違った考えだ。今はお前が杜氏なんだから、お前の伊佐大泉に変えていかなければならない。原料、麹、酵母も一緒の中で、お前の思いが焼酎にどれだけ込められるかだ」

山下さんの悶々としていた気持ちが吹っ切れた。自分なりの芋焼酎を造るには、もっと勉強が必要だ。頭を下げて、他の焼酎蔵を回り、教えを請うた。それまで抱えていたさまざまな疑問点が解けていった。それが4年目のことだ。

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「焼酎造りは楽しくがモットー」

「むちゃくちゃ重い」伊佐大泉の看板

「伝承は受け継がれないといけない。でも、伝統は時代とともに変わっていかないと途切れるな、と思ったんですよ。オリジナリティを出していかないと、その時代で行きていくことは不可能だと感じたんですよ。でも、そうとうな努力が必要です。壁も高い。なかなか乗り越えられないです」

おいしい焼酎を造ろうと、常にベストは尽くす。でも、「きょうのベストは明日のスタートラインなんですよ」。造り手は納得したら終わり。永遠と試行錯誤の日々が続く。苦しい日々でもある。「でも不思議なことにね。お客さんに『おいしいね』と言われたら、そんな苦労はすべて消えてしまうもんなんです」

全く知らない人から「おいしさに感動した」と手紙がくる。「伊佐大泉がだんだんと有名になってきて、誇らしいと感じている。ずっと飲み続けてきた自分らは、間違ってなかったと思うんだ」なんて、熱く語られたこともある。そんな時、山下さんは喜びと同時に思うことがある。「伊佐大泉の看板は、むちゃくちゃ重い」と。

「僕は『おいしい』と長年にわたって飲んでくれている消費者の思いを背負っています。さらに、伊佐大泉に関わってきた蔵人の家族、親戚の思いなど、見えないものをいっぱい背負っているんですよ」。だからこそ、頑張れる。

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大山酒造

http://isadaisen.jp/

鹿児島県伊佐市菱刈荒田3476

0995-26-0055

銘柄は「伊佐大泉」のみ。麹は白麹。原料芋は白豊をベースに黄金千貫を少し混ぜている。中玉の芋を一切切らず、丸ごと蒸して使う。「今はどこの蔵も芋を切って蒸していますけど、昔の杜氏に聞いたら『切るもんか』って。その通りだと思って、芋のポテンシャルを最大限出せるよう丸ごと蒸します」と山下さん。


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