九州焼酎島

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2017/11/02

柳田酒造(宮崎県都城市)

焼酎出荷量日本一」の都城で麦焼酎

蒸留器オタク”の蔵元が芋焼酎の町に新風

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柳田正さん

宮崎県都城市には日本最大の焼酎メーカーがある。当然、市民の誰もが芋焼酎を好む。そんな土地なのに、麦焼酎をメインにつくる蔵が、1902年(明治35年)創業の柳田酒造だ。前職がエンジニアの5代目、柳田正さんは、“蒸留器オタク”の理系男子。自ら蒸留器を改造し、「柳田」にしかできないインパクトのある麦の世界をつくり出した。

「なぜ都城で麦焼酎なのか?」。正さんがよく聞かれる質問である。柳田酒造でも創業当初から「千本桜」という芋焼酎をつくっていたが、都城は芋焼酎最大手メーカーのお膝元。蔵の存続を考えた正さんの父、勲さんが芋焼酎を辞め、麦1本にかけた。それが代表銘柄の「駒」である。4代目の苦渋の決断がなければ、今はないかもしれない。

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代表銘柄の「駒」。りんごのようなフルーティーさだ。

「麦焼酎は、都城ではほぼ飲まれていませんでした。ただ、都城人にも芋焼酎が苦手な人が、100人に1人以下かもしれないですけど、いるんです。あとは東京などの都会から転勤で来られた方で、芋臭さに慣れてない人に支持されまして。たくさんは売れないけど、何とか蔵をつなぐことはできたんです」

父は空手7段、エンジニアにあこがれた子供時代

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もろみを見つめる正さん。「ずっと眺めていても飽きない」

正さんは、柳田家の二男坊。もともと蔵を継ぐつもりはなく、東京農工大学の工学部に進学した。大学院で学んだ後、富士ゼロックスの研究開発部門に就職。コピー機の画像処理などのプログラムを書いていた。

「子供のころから機械いじりが好きでして、エンジニアになるのが夢でした。ポケットの中には、常にドライバーを2、3本入れていました。機械の中を見るのが楽しみで、父が買ってきたカラオケセットやダブルデッキのラジカセを分解しては、戻せなくなって、父から頭を殴られてましたね。父は空手7段なんですよ。7段のげんこつって、半端ないんですよ。クラクラして吐き気がしましてね(笑)。絶対に逆らえない人でした」

そんな「星一徹のような強いオヤジ」の勲さんが難病を患い、病状が悪化したのが、ゼロックスに勤めて5年ほどたった時だった。自動車メーカーの研究職に就いていた6歳上の兄と伴に、都城に呼ばれた。「おれもこのザマだ。もう仕事を続けられない。お前ら兄弟のどちらかが蔵を継いでくれないか。ただ、無理はしなくていい。お前らが帰らないというなら、覚悟はできている。おれが先にあの世に行って、ご先祖様に泥をかぶるから」

あれだけ筋骨隆々で怖かった父が、初めて息子たちの前で弱音を吐いた。正さんはショックだった。

「やっぱりお前が継ぐのか」と父

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蔵仕事はきつい。でも充実している。

いったん蔵を廃業したら、再開はほぼ不可能で、都城で最も古い焼酎蔵の火が消える。そうなると、取り返しがつかない。当時、兄は仕事で責任ある立場についていた。自分は20代で独身。兄に比べれば、気楽な身分だ。正さんは勤め先に辞表を出し、当時付き合っていた大学の後輩の妻、恵子さんを連れ、都城に帰った。

蔵に入ると、父は言った。「やっぱりお前だったか」。勲さんも二男で、兄は東京農業大学の教授という研究者。正さんが帰ってくるんじゃないかと薄々感じていたらしい。

地元酒屋にガツンと叱られる

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「駒」の入ったタンク

正さんが蔵を継ごうと決意した時、頭の中にあったのが「千本桜」の復活だった。しかし、意気揚々と帰郷し、「いきがっていた若い自分」は、いきなり地元の酒屋店主にガツンと叱られる。「お前が大学に行けたのも、蔵に戻って来られたのも、すべて『駒』があるからだ。まずはお父さんが一生懸命造り続けてきた、麦焼酎のブランドをしっかり受け継ぎ、守ることが先だ。それができるようになったら、柳田君らしい麦焼酎を世の中に問うてみて、評価されたら芋焼酎をつくればいい。それでも遅くない」と。

「西都城駅前のさいしょ酒店さんとの出会いがなければ、今の私はないです。20代の勘違いしていた自分を正してくれたんですから」。正さんはそこから10年、一心不乱に麦焼酎をつくり続けた。

蒸留器にエンジニアの血が騒ぐ

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「蒸留器ってかっこいいと思いませんか? なかなか理解されないんですよね(笑)」と正さん

蔵を継いで、気になるのは、やっぱり機械のことだった。「焼酎造りで最もエンジニア的なのは蒸留。発酵などは生物学の世界ですけど、蒸留器はメカニカルな世界じゃないですか」

麦焼酎に新風を吹き込んだ「赤鹿毛」は、まさに蒸留器をあれこれいじっている時に生まれた。

柳田酒造にあるのは、減圧蒸留器。「私が蔵に入った当時、焼酎ブームで芋焼酎がどんどん売れていて。蚊帳の外だった麦焼酎の中でも、常圧は評価されているという噂を聞きまして」。ただ、常圧蒸留器を買うお金なんてない。減圧蒸留器でも、常圧と同じ味わいの焼酎ができないか。“蒸留器オタク”の血が騒ぐ。「蒸留器をいじって、圧力を上げたり、下げたりして遊んでいたんです」。すると、減圧、常圧のいい部分がわかってきた。

「減圧にすると、(40~50度ぐらいの)低い温度で沸騰させているので、すごくフルーティーで華やかで、軽快なお酒ができる。(90~100度で沸騰する)常圧にすると減圧の良さがなくなる反面、ボディー感が出て、余韻の長い、香ばしい焼酎になる。同じもろみなのに、こんなに違うもんなんだと感激しましてね」

減圧、常圧の欠点もわかった。

「減圧は軽快さがあるゆえに、ピリピリ舌を刺す刺激があり、アルコールっぽさも感じる。常圧にすると、減圧の欠点はなくなるけど、独特の苦味、そして麦わら臭のような不快な香りがするんです」

5代目のデビュー作、“中圧”の「赤鹿毛」の誕生

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蒸留器に取り付けたハンドル式のバルブ。上は従来のバルブ。「父に怒られると思って、残しておいたんです」

ある時、常圧と減圧の半分ぐらいの温度を試していると、苦味もなく、アルコールの角もない「単純にもろみの香りをかいだ時のような爽やかな酒」が、蒸留器から垂れてきた。「これだ!」と心が震え、自分のデビュー作にしようと思った。

ただ味が安定しない。なんども失敗を繰り返し、「このままでは蔵の経営が揺らぐぞ」と撤退を考えた時、バルブの調整が鍵を握ることに気づく。「やっぱり私はエンジニアなんですよ」。ホームセンターでハンドル式のバルブを購入し、蒸留器につけてみた。「ルパン三世が金庫を開けるみたいに、バルブをちょっとずつ開けたり、戻したり。すると、数ミリ動かすだけで、劇的に味が変わったんです。バルブによる圧力調整が最終的な酒質決定に与える影響度は、とてつもなく大きかったんです」

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“中圧蒸留”の赤鹿毛

そして、完成したのが「赤鹿毛」だ。「常圧蒸留と減圧蒸留の中間なので、私は勝手に『中圧蒸留』と言っています」

風呂窯を分解して「青鹿毛」が誕生

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「青鹿毛」はインパクト大の味わい

ただ、「中圧」という言葉をつくり出した正さんだったが、常圧でつくる焼酎には不満があった。そもそも減圧蒸留器なので、無理やり常圧にしてみても、おいしくなかった。「一般に売られている常圧の焼酎よりも苦くなって」。おいしくない原因は、もろみに伝わる熱がまばらだったことを知る。そして、実家の風呂をリフォームした時に解決策に気づいた。

「日本メーカーの最新の追い焚き機能付きに変えたんです。もとの薪風呂は、追い焚きすると、上が熱くて、下が冷たくなる。だから、かき混ぜる必要があります。でも、最新のお風呂は混ぜてないのに温度が均一。不思議に思い、また私の悪い癖が出てしまいまして(笑)」

正さんは、リフォームしたばかりの実家の風呂窯を分解してみた。すると、答えがあった。4本に分岐されたノズルが風呂の壁に45度に当たるように、角度が付けられ、うまく熱が対流するようになっていた。「日本の技術力はすごいな、と感心しましたね」。すぐに、蒸留器を改造するための図面を書いた。鉄工所に部品を加工してもらい、蒸留器の中に取り付けた。すると、もろみに均一に熱が伝わるようになった。

常圧蒸留の成功でできたのが、「青鹿毛」である。大麦の香りと味わいが強烈なインパクト。玄人受けする味わいだ。

「千本桜」、35年ぶりの復活

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35年ぶりに復活させた芋焼酎「千本桜」

蒸留方法に工夫を凝らし、自らのスタイルでつくり出した麦焼酎の「赤鹿毛」「青鹿毛」。世の中の高評価を受け、ようやく自分の麦焼酎づくりに自信を深めた時、「千本桜」の復活を決心した。40歳の時だ。くしくも、父が断腸の思いで「千本桜」を辞めたのが、40歳だった。

当初は芋焼酎の再開に猛反対していた病床の4代目も、息子の思いの強さに、折れた。勲さんは病に冒された体を奮い立たせて陣頭指揮を取り、正さんに創業以来、受け継がれた製法をたたき込んだ。「千本桜」は2013年、この世に戻ってきた。35年ぶりの復活に、みな感無量だった。

1人娘に蔵を託したい子煩悩な父の姿

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桜子さんといるときは子煩悩な父の表情

今、正さんは44歳。世界に認められる焼酎をつくりたいと意欲を燃やす一方で、蔵の行末が気になる。一人娘で小学2年生の桜子さんに、「どうやったら蔵を継いでもらえるか」を考える毎日だ。

自らの幼き日々がそうだったように、娘に蔵の中を遊び場としてもらい、楽しかった幼少の記憶を刻んでもらいたいと思っている。そうして、「いつかは伝統のタスキを継承したい」と願う。

取材日、小学校から帰ってきた桜子さんが、仕込みタンクのある部屋に入ってきた。いつの間にか櫂(かい)入れをして、遊んでいる。そんな“6代目候補”の様子を、5代目は目を細めて、じっと見守っていた。優しい父親の顔だった。

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柳田酒造

http://www.yanagita.co.jp

宮崎県都城市早鈴町14街区4号

0986-25-3230

都城島津邸の近くの蔵では、良質な地下水が湧き出て、焼酎造りに使われる。代表銘柄の「駒」はリンゴのようなフルーティーな香り。かつて宮崎に自生していた「ミヤザキハダカ麦」を復活させ、麦の香り豊かな「ミヤザキハダカ駒」も限定発売。


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