九州焼酎島

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2017/09/06

村尾酒造(鹿児島県薩摩川内市)

「村尾」の看板に正直に向き合う

日本を代表する芋焼酎蔵の4代目

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村尾酒造4代目の氏郷真吾さん

芋焼酎が好きな人にとって、「村尾」という名の響きは、特別なものがある。「森伊蔵」、「魔王」とともに「3M」と呼ばれ、ファンの誰もが一度は飲んでみたい“幻の焼酎”だ。名人と言われた3代目の村尾寿彦さんから、村尾酒造の経営を引き継いだ4代目の氏郷真吾さん。名門の看板に、重荷を感じたこともある。「村尾だから、良いわけじゃない。出来の良い年もあれば、悪い年もある」。46歳の杜氏は、消費者に正直であることで、村尾の重圧をはねのけた。

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小川を渡ってすぐの山際に蔵はあった

村尾酒造は、鹿児島県薩摩川内市の市街地から少し離れた山里に、蔵を構えていた。すぐ横を小川が流れ、せせらぎの音が耳に入る。8月下旬の訪問時は、周辺の田んぼの稲穂が実り始めていた。敷地に入ると、芋の甘い香りがぷーんと漂ってきた。

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かめ壺の中のもろみがブクブクと泡を立てていた

前職は会計事務所勤務の「村尾」の杜氏

「8月11日から今季の仕込みをスタートしまして、ようやく蒸留が始まったところです」。蔵仕事が一息ついたばかりの氏郷さんが、笑顔で事務所に入ってきた。村尾の4代目は、とっても気さくな人だった。

氏郷さんは、3代目の二女、由紀さんの夫。寿彦さんの子供は三姉妹だったため、跡継ぎとして声をかけられた。蔵に入ったのは、31歳の時だ。「それまでは、飲む側の人間。会計事務所で税理士補助をしていましたから、肉体労働よりは、デスクワークが得意な人間でした」

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村尾酒造の焼酎は昔ながらの手づくりだ

「村尾」の看板をプレッシャーに感じる毎日

当時は、焼酎ブームの真っ盛り。村尾の名は既に、日本全国にとどろいていた。「それは、プレッシャーを感じましたよ。自分が村尾の看板に触っていいものかってね」と当時を振り返る。

寿彦さんは、氏郷さんに最初から仕込みをやらせた。作業を間違えば、修正させた。毎日の実践の中で、鍛えられた。名人から焼酎造りを直に学べる幸せな環境。でも、「僕は大学で醸造学を学んだわけでもないし、畑違いから来た人間。先のことを考えたら、本当にプレッシャーで」。悶々(もんもん)とする日々だった。

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「村尾」と「薩摩茶屋」の原料になる黄金千貫芋

「自分だけじゃない」、造り手仲間ができて広がる世界

蔵に入って1年後、氏郷さんに気持ちの変化が訪れる。きっかけは、広島にある酒類総合研究所での1ヶ月の研修だった。「日本全国の酒蔵から、造り手が集まっていて。例えば、川越酒造場の川越君は前職がカメラマン。酒造りとは全く違う職業から転身した、僕と同じ境遇の造り手が多いことを知って、気持ちが楽になったんです」

それまで氏郷さんには、村尾の蔵だけの世界しかなかった。広島の寮生活で同じ釜の飯を食い、造り手の仲間が増えたことで、自分の焼酎造りの世界が広がった。「焼酎造りの天才」とも称された義父に聞きづらいことでも、同世代の仲間になら相談しやすい。徐々に重圧が溶け始めた。

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常圧蒸留機で「村尾」は造られる

経営を継ぐ前から村尾造りの中心は氏郷さんらだった

2015年4月、蔵の代表になった。前月の決算を終え、3代目から「来季から代を変わろう」と簡単な言葉だけを伝えられた。ただ、気持ちに大きな変化はなかった。「肩書が変わるくらいでしたから」。実は、ここ10年ぐらいの村尾酒造の焼酎造りは、氏郷さんと寿彦さんの三女、美穂さんの夫、伊藤克樹さんらが中心だった。3代目は、アドバイザー的な立ち位置だった。

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蒸留を待つ

代替わりしてすぐに「味が変わった」とクレーム

ただ、代替わりした初年度は、順風な船出とはいかなかった。「村尾寿彦の造る焼酎が飲みたい、という人もいるわけですよ。村尾の3代目の顔がなくなるわけですから、離れていく人もいるんじゃないかと想像できました」

そして突然、「味が変わった」と言われて、バッシングを受けた。「代表になった年が一番たたかれましたね」と苦々しい思い出を振り返る。

代替わりする前から、氏郷さんらが現場を事実上取り仕切っていたわけだが、消費者はそんなことを知らない。だから、名人と言われた義父が退いたことで、味も落ちたと思われたのだ。でも、実際に「焼酎の出来があまり良くない年だったのは、間違いなくて」と明かす。

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「村尾」と「薩摩茶屋」。いずれも黒麹で仕込むが、違いは麹米の種類。

1年ものだから毎年の味が違う村尾酒造の芋焼酎

村尾酒造の焼酎は、「村尾」も「薩摩茶屋」も1年ものだ。ことし造った焼酎は、翌年までに売り切ってしまう。長期熟成はさせない。だから、毎年が勝負なのだ。年によって、原料芋の出来も良し悪しがあるし、それによって造りも変わるから、同じ味にはならない。出来が良い年もあれば、悪い年もあるのだ。

だから、氏郷さんは「『村尾』だから良い焼酎だ、と言うのはやめようと思いまして。酒屋さんには出来の良い年は良い、駄目な年は駄目と、正直に言うようにしています。それで、良いと思っているんです」と話す。

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1日の作業終わりは、念入りに蔵の中をきれいにする

確かに、ワインでも、ブドウの出来具合で、“当たり年”がある。蒸留酒である焼酎は、ワインほど差はないかもしれないが、芋の出来によって、味も変わってくる。もちろん、ブレンドして、味のブレ幅は少なくしているが、村尾ほど味のハードルを高く設定された焼酎は、少しの味の違いで、たたかれたりするのだ。

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「2016年の『村尾』は納得の味」と氏郷さん

氏郷さんは「村尾」に正直であろうする。正直になることで、余計なプレッシャーに邪魔されず、焼酎造りに専念できる。「2016年の造りは、自分たちが好きな焼酎に仕上がっています」。つまり、ことし店に並んでいる「村尾」は、“あたり年”の芋焼酎である。

 

村尾酒造

鹿児島県薩摩川内市陽成町8393

0996-30-0706

1902年(明治35年)創業。「村尾」が有名だが、代表銘柄は「薩摩茶屋」。いずれも、黄金千貫芋を原料に使い、昔ながらのかめ壺で仕込む。違いは、麹米。村尾は国産、薩摩茶屋はタイ米を使う。「最近多い香りの強い焼酎ではなく、ドライ感、キレ感がある食中酒として飲み続けられる焼酎を造っていきたい」と氏郷さん。辛さ、苦味をプラス要素ととらえ、甘すぎず、飲み飽きない焼酎造りを目指す。


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