焼酎造りは畑から始まる
自家栽培のさつま芋で造られる「旭萬年」

渡邊酒造場代表の渡邊幸一朗さん
「焼酎造りで何が大変かって? それは、さつま芋の栽培ですよ」
そう言って、渡邊酒造場(宮崎市田野町)の4代目、渡邊幸一朗さんは笑う。
彼の仕事は畑から始まる。
焼酎の蔵元であり、さつま芋農家。
1914年の創業以来、自家栽培したさつま芋で焼酎を製造してきたのが、「旭萬年」で知られるこの蔵の最大の特徴なのである。
さつま芋の鮮度ではどこにも負けない「旭萬年」

炎天下の草取りは重労働だ
干し大根の生産量が日本一で、冬になると巨大な「大根やぐら」が立ち並ぶことで有名な田野町。
見渡す限りの農村地帯の一角で、渡邊家は創業当時から100年以上、芋焼酎用のさつま芋の栽培を続けている。
「僕は2代目の祖父とずっと一緒に暮らしてきたけど、昔から焼酎の蔵って芋を栽培して焼酎をつくるのが当たり前だと思っていました。でも、他の蔵元と接するようになって、うちって普通じゃなかったんだと知って」
43歳の蔵元は頬を緩めながら語り始めた。
今でこそ、自ら栽培したさつま芋で焼酎をつくる蔵も増えてきたが、ほとんどの焼酎蔵では農家などから芋を購入している。
農家は自らの都合で芋を掘るから、常にフレッシュな芋が届くとは限らない。
幸一朗さんは「僕らは焼酎造りの工程を考えながら、一番タイミングがいいときに掘ります。だから、他の蔵よりも圧倒的に、芋の鮮度に自信があります」と胸を張る。
渡邊酒造場では、旬の新鮮なものを重視しているから、仕込みと同時並行で必要な分を掘ってくる。
これが大変だ。
弟の潤也さんと二人三脚でもり立てる蔵は、ほぼ家族経営だから人員も少ない。
でも、製造のピーク時に芋が足りないと、工程が止まってしまう。
雨の日の収穫は芋が痛むから、できない。
そうする間に、「旬」を過ぎてしまう。
だから、仕込みの時期は常に天気予報が気になる。
「うちの蔵ほど、天候のことを気にする蔵はないんじゃないでしょうか」と、幸一朗さんは笑う。

炎天下、スタッフが日傘をさしながら草取りをしていた
1年の8~9ヶ月は畑で作業する。
蔵で焼酎と向き合っている時間より、はるかに長い。
土作りからスタートし、収穫を迎えるまでに多くの困難が立ちふさがる。
猿に畑を荒らされたり、農薬もほぼ使わないから「真夏の草取りは辛いです」。
そう言って、4代目は炎天下の畑で暑そうに汗をぬぐった。
昼のメロドラマ制作から実家の焼酎蔵へ
そんな幸一朗さんも、酒蔵の子息が多く通う東京農業大学で醸造学を学んでいる。
ところが就職先は、東京の映像制作会社。
焼酎ブームが訪れる前で、実家の酒造りに未来を見られる状態じゃなかったのだ。
昼のテレビドラマの制作に没頭し、昼夜もない「ブラック」な状態。
それでも充実していたというが、3年目の時、まだ40歳と若かった上司が妻のお腹に第一子を残して脳梗塞で急死する。
あまりの衝撃に、「おれは将来もこのままでいいのか?」と、自問自答の日々を過ごす。
そんな時だった。
3代目の父、友美さんから蔵に帰ってきてほしいとの連絡があった。
風土で焼酎を醸す
4代目が今、目指しているのは、宮崎の田野という地域に根ざし、田野でしか造ることができない「より自然な焼酎」である。
きっかけは「ナチュラル・ワイン(自然派ワイン)」との出会い。
限りなく自然のままの製法で造り、「ヴァン・ナチュール」とも呼ばれる。
大切に育てたぶどうを余計なものを使わず、そのまま酒にしたいという醸造家の想いが込められているという。
自然派ワインは土地によって味も香りも違う。
風土、気候、土壌などが、ワインをつくり出すからだ。
そんなフランス・ワインの「テロワール」という考え方に幸一朗さんは共感し、渡辺酒造場のある「田野でしかできない地酒」を造ろうと心に決めたという。
そこで、原料も地元のものにこだわった。
さつま芋は自らの畑で栽培していたから、麹米の米もタイ米から宮崎市内の農家が栽培する米に変えた。
蔵の焼酎は現在、100%宮崎産で造られる。
300〜400年前でも造れた焼酎が萬年の理想
今、4代目が理想として思い描くのは「300~400年前でも造ることができた焼酎」だ。
田野という土地にいる微生物、渡辺酒造場に昔から住み着く酵母などの菌にできるだけ頑張ってもらい、人間の手をできるだけかけず、自然の造り方で醸す。
田野でしか再現できない「原始的な製法の焼酎」である。
もろみの温度管理は大切だけど、徹底はしない。
なるべく気候まかせで、必要なときだけ手を加えてあげる。
機械制御はせずに、人の手で、目で、舌で感じながら造っていく。
職人の「五感」を研ぎ澄ましながら、もろみの発酵を手助けしていく。
もちろん「現代の焼酎造りの知識」を最大限に活かしていくから、現代人が飲んでも「うまい」と思える味に、仕上がる。
大量生産、大量消費の今の時代、工場を機械化し、原料も「冷凍芋」を使えば1年中、いつでも、どこでも芋焼酎を造ることはできる。
大量に製造された酒は「クレームの元になるから」と、味も均一化されてしまう。
「味に特徴がなく、似たような焼酎が多い」と言われるゆえんだ。
しかし、田野という土地で挑んでいる「300~400年前でも造ることができた焼酎」は、渡辺酒造場でしか再現できない唯一無二の焼酎である。
そこに、幸一朗さんは価値を置いている。
「毎年、味がブレブレの焼酎を造っていく」

投票で原料芋を決めて造った「朗らかに潤す」。ラベルには芋栽培、仕込み、蒸留など焼酎が出来上がるまでの物語がネガティブなことも含めてみっちりと書き込んである。
幸一朗さんは、「僕の造る焼酎の味は、毎年ブレブレでいいと思っているんです」と語る。
暖かい年に仕込むこともあれば、寒い年に蒸留することもあるだろう。
さつま芋は天候によって生育も変わってくるから、年によって品質は違う。
ワインの世界では、ぶどうの出来が良い年は「当たり年」として重宝されるし、毎年味わいが違って当然と考えられている。
それと同じで、焼酎にだって「当たり年」という表現があっていいはずだ。
だから、渡邊酒造場の焼酎の瓶には、蒸留の月年、ボトリングの日を印字するようにした。
日付の印字を見れば、「当たり年の旭萬年だ」と分かるのである。
ただ、43歳の蔵元は、自信満々に言い切る。
「僕は、毎年ベースアップしながら焼酎造りに臨んでいます。だから、今年の焼酎は去年のものより、美味しくできた、と毎年思っています」
物語が満載の「旭萬年」
2019年の夏、グリーンに覆われた田野のさつま芋畑を、頭に思い浮かべてみた。
強烈な日差しが肌を刺し、青空に浮かんだ雲がゆっくりと流れていった。
そんな風土が醸し出す物語を想像しながら呑む芋焼酎「旭萬年」は、ひと味もふた味も違う気がしてくる。
焼酎好きの学者によると、「人間は情報で食す動物」だそうだ。
これから僕が手に取る「旭萬年」には、既に有形無形のたくさんのスパイスが詰まっている。
渡邊酒造場
1914年創業で、すべての焼酎を常圧蒸留で仕上げている。代表銘柄は黄金千貫芋を使用した「旭萬年」で、白麹と黒麹の2種類のバージョンがある。「麦麦旭万年」など麦焼酎も一部製造している。幸一朗さんと潤也さんの名前から一文字を取った「朗らかに潤す」はSNSなどを通じて、どんな品種のさつま芋で造られた芋焼酎を飲んでみたいか投票してもらい、最も票が多かった品種を栽培してつくった芋焼酎。