九州焼酎島

2017/03/08

蔵元探訪 | 四ッ谷酒造(大分県宇佐市)

「1000人に1人が好きならいい」

麦焼酎の人気ブランド「兼八」の挑戦

今や「兼八」は、なかなか手に入らない麦焼酎の一つである。すっきりとした呑口で全国にファンを増やした大分麦焼酎の中にあって、香ばしい個性的な味わい。知人女性いわく「麦チョコのような味がしてびっくりした!」。そんな麦焼酎屈指の人気ブランドは「1000人に1人が好きと思ってくれたらいい」という、四ッ谷酒造5代目の四ッ谷岳昭さんの賭けとも言える挑戦から始まった。

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5代目の四ッ谷岳昭さん

全国4万社余りの八幡宮の総本宮、宇佐神宮で知られる大分県北部の宇佐市。「兼八」は周防灘に面した潮の香りが漂う町で造られていた。歴史を感じさせる木造建築の引き戸を開けると、5代目が出迎えてくれた。丁寧に差し出してくれた名刺には、専務取締役と書いてある。「5代目と言ってますけど、蔵の代表は4代目の親父なんです」。岳昭さんは笑いながら、自らのこと、兼八のことを語り始めた。

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仕込みタンクが並ぶ蔵の中

数学科を出て、パナソニックで働く

世界の酒を飲み歩いた会社員時代

岳昭さんは、高知大学理学部数学科を出ている。蔵を継ぐ気はなかったし、両親も数学の教員として地元に帰って来てくれたらなと思っていたそうだ。でも、時はバブル景気真っ盛り。「公務員よりも、民間企業の方が給料もいいので(笑)」と、松下電器産業(現パナソニック)にシステムエンジニアとして入社した。

お酒は昔から大好きだった。「大学のころからバーに通い始めて、ウイスキーなどの洋酒にハマっていきました」。松下で最後に所属したのが、海外システムグループ。海外に行く機会が多かったから、世界を回っていろんな国のお酒を楽しんだ。でも、「焼酎には全く興味がなかったんです」。

ただ、望郷の念は募る。7年ほど会社勤めをして、1998年12月に大阪から家族とともに帰郷。29歳の時だった。蔵の手伝いをスタートした。

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兼八の香ばしさを出す常圧蒸留機

「なんで、みんなが同じ味の焼酎を造るんだ?」

没個性の大分麦焼酎に疑問がわく

蔵に入ってすぐに疑問がわく。「何でみんな同じ方向しか向かないんだろう?」。当時の大分の焼酎と言えば、すっきりとクセのない味わいが人気。小規模の各蔵も、「いいちこ」など大手の味に似せた焼酎を造っていた。そうしないと、酒屋や消費者に買ってもらえないことを後で知る。

四ッ谷酒造も例外ではない。ただ、「お金がなくて」と常圧蒸留機しか蔵にない。イオン交換で、わざわざ減圧蒸留のようなクセのない味わいに変えていた。味も価格も同じなら、大手に勝てるはずもない。「このままでは蔵は終わる」と感じた。

そんな時、世界でお酒を飲み歩いた経験が生きた。「ワイン、ウイスキーって、すべてのブランドが画一的な味じゃないですよね。各蔵の味があって、その個性が認められているわけです。だから、自分の飲みたい麦焼酎を造ろうと思ったんです。それが今の兼八のきっかけですね」

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大分麦焼酎は原料の麦と麦麹で仕込む。タンクからはフルーティーな香りが漂う。

4代目の父、芳文さんを師匠に、2人きっりの焼酎修行の日々。「父は昔ながらの職人。見て覚えろが基本で、説明が一切ありませんでした」と懐かしむ。蔵人がいなくて醸造研修にいけないから、「本格焼酎製造技術」(日本醸造協会著)の本で理論を学び、父と作業を行うことで実践経験を積んだ。父の背中を見て、蒸し、蒸留など、すべての工程の時間をストップウオッチで計り、データ化した。「その辺は理系でしょ(笑)」

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大量に刷り過ぎた兼八ラベル

「おかげで『兼八』以外の名前を付けられなくなって(笑)」

創業者、四ッ谷兼八の名を冠した、今の「兼八」を造ろうと思ったのは、ようやく焼酎造りが理解でき始めた2000年初めのことだ。「もともと『兼八』ブランドがあって、ラベルが大量に余っていたんです。だから、『兼八』以外の名前をつけることができなくなって・・・」と笑う。

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「兼八」のラベルは手作業で貼られていた。

短所をあえて意識せず、長所を伸ばす造り

香ばしい兼八が生まれ、じわりじわりと人気に

兼八のコンセプトは、いたってシンプル。「1000人に1人が好きと思ってくれたらいい」。そこには、松下出身なりの考えがある。「家電業界って多品種小ロット。たくさんの選択肢の中から、自分に合う家電をみつける時代じゃないですか。松下から蔵に入った時、焼酎業界は遅れているなと思ったんです」

造りでは、長所を伸ばす手法に重きを置く。「全員にいいね、と言われる焼酎は欠点を消さなければいけない。そこはあえて意識せず、いいところを伸ばそうと考えました。だから、麦の香ばしさを重視したんです」。自信はなかったが、「このままでは、うちの蔵はなくなるなと思っていましたから」と、個性的な焼酎造りへの道に突き進む。「売れなかったら、転職でもしようと思ってました」

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四ッ谷酒造の造る焼酎ブランドのほとんどは「兼八」だ。

イベントに出ると、兼八は年配の客には受けが悪い。でも、「若い女性が飲んでくれて、『焼酎おいしい!』と言ってくれてたんです。ちょっと自信が持てて、『よし、彼女たち若い女性のために造ろう!』なんて思いましてね(笑)」。地元の冷ややかな目を感じつつも、応援してくれる酒屋があることも勇気づけられた。「僕が松下で大阪にいたこともあって」と関西方面からじわりと売れだし、メディアに取り上げられると、一気に人気に火が付いた。

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兼八は「はだか麦」を原料、麹に使用している。

学生時代の愛読漫画「BARレモン・ハート」で褒められる

「目頭が熱くなりました」

岳昭さんは1冊の漫画本を差し出した。

「BARレモン・ハート」(古谷三敏作)。バーを舞台にマスターと客がお酒にまつわるうんちくを語り合う物語だ。5代目が大学生のころ、お酒の教科書代わりに読みふけっていた漫画で、「私にとってのお酒の師匠が、BARレモン・ハートのマスターとメガネさんだったんです」。

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「兼八原酒」(左)と原酒を国産コナラの樽で寝かした「森のささやき 兼八」

そんな酒漫画の22巻に「兼八原酒」が登場した。取材も一切受けておらず、突然のことだった。「私の寝酒用で造った酒とか、兼八原酒を造った経緯をよく調べてましてね。メガネさんが『これぞ男のスピリッツ。北欧の男もびっくりするでしょう』と褒めてくれたんです」。自分はここまでのレベルまで来たのか、と感慨に浸った。本屋の駐車場に止めた車の中で、目頭が熱くなった。

一番初めに父と造った焼酎の量は、250石(一升瓶で2万5000本)だった。「1000石を目指す」と5代目が言った時、周囲は鼻で笑った。今や製造量は、1400石(一升瓶で14万本)。それでも引く手あまたである。

 

四ッ谷酒造

http://www.shochuya.com

大分県宇佐市大字長洲4130

1919年創業。「兼八」ははだか麦を使用し、麦の香ばしさが個性的。今シーズン、大分で開発された焼酎用の麦「トヨノホシ」を原料に、大分特産カボス果実から抽出した「大分酵母」を加えた新しい焼酎を製造中。


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