すべての食を潤す蒸留酒を
霧島の山奥にある、とことんまでこだわった焼酎蔵
鹿児島県霧島市から霧島連山に向けて車を走らせ、途中、小さな山道を左折した。離合ができない幅の小道。横を向いたら、深い谷。この先に建物があるのだろうかと不安になりながらゆっくり進むと、森の中にぽっかり空間が空き、万膳酒造の蔵が目に入ってきた。
「山小舎の蔵」と名乗るだけあって、ほんとうに霧島の山奥にある小さな蔵だ。たくさんの木立に囲まれた場所で、焼酎マニア垂涎の芋焼酎「萬膳」「萬膳庵」「真鶴」は造られている。
蔵のすぐ横を、ヤマメも生息する清流・手篭川(てこがわ)が流れている。7月の猛暑の日に訪れたのだが、ひんやりと涼しい。
川岸には蔵を訪れた人たちをもてなす「ゲストハウス」が建っていた。まるで湯布院の高級旅館のようなたたずまい。万膳酒造4代目の万膳利弘さんの息子、博幸さんがゲストルームに招いてくれて、万膳酒造の焼酎について教えてくれた。
万膳酒造は大正11年創業なのだが、3代目だった博幸さんの祖父が亡くなってから一時休業。万膳家はもう一つの家業である酒店に専念していた。
「僕が生まれた時はバブル期で、とにかくお酒が売れたそうです。特に洋酒がすごかったそうで。でも、焼酎は今ひとつだったようです。蔵の休業期間中も、うちの『真鶴』という伝統的な銘柄は、隣町の焼酎蔵で製造してもらってたんです。でも、在庫が余って仕方なかったそうです」
そんなこともあって、利弘さんが焼酎造りを復活させたいと言ったから、周囲の10人中9人は反対したという。反対を押し切ったのは、伝説の杜氏の存在があった。
「祖父の弟である、宿里利行(やどり・としゆき)さんが、偉大な焼酎の造り手でして。蒸留酒でも、醸造酒でも、あらゆるお酒を造ることができる方だったんです。伝説の杜氏と言っても、言い過ぎではない方でした。あの森伊蔵酒造に引き抜かれる寸前のところで、父が焼酎造りの教えを請うたと聞いています。3年間、飴と鞭で父を指導し、亡くなられました。今の万膳酒造の味は、叔父さんがつくったんです」
1999年、約30年ぶりに焼酎造りをスタートした時に選んだのが今の地。「圧倒的な水の良さが一番の決め手です。霧島連山からの湧水に恵みがここにはありました」。霧島レッカ水として知られる軟水が、「萬膳」のまろやかさにつながっている。
蔵の中に案内されると、とてもコンパクトにまとまっていて、たくさんのかめ壺が埋め込まれていた。1次仕込みも、2次仕込みもかめ壺で行う。そして「うちの心臓部分」(博幸さん)というのが、木樽蒸留器。メンテナンスも大変だし、ステンレスの蒸留器と比べると耐久性も劣る。何よりも製造できる職人が少ない。でも「万膳の焼酎の香りの特徴は木樽じゃないと出ないんです。飲めば違いは分かります。使えば使うほど、ナッツのような香ばしさが焼酎に移って、ほんとに柔らかく仕上がるんです」。
「萬膳」は「よろずの膳」と書く。すべての食事を潤す食中酒、という意味が込められているという。「おだやかだけど、ドシンとしているイメージですかね」と博幸さん。食事の名脇役をつくるため、水をはじめとした素材にも、こだわった。焼酎造りに使用する芋は、品質の良さで知られる鹿児島県・鹿屋産の黄金千貫だ。
「萬膳」の場合、使う麹米は秋田産のひとめぼれで、特定の生産者につくってもらっている。瓶の裏に貼ってある原材料が書かれたシールを見るだけで、万膳酒造のこだわりがわかる。麹米も、芋も、生産者名が書かれているのだ。麹菌は河内麹菌のNK黒麹、仕込み水は霧島レッカ水と表記してある。ここまで原材料のことを詳しく説明している焼酎も珍しい。
黄麹で仕込む「萬膳庵」も、白麹で仕込む「真鶴」も、同様に詳しく原材料を書いている。
とにかく、水、芋、米、麹の原材料から、手づくりの米麹づくり、かめ壺仕込み、木樽蒸留と製造方法、製造場所まで徹底的にこだわっている。さらに、蔵の隣にトンネルを掘って貯蔵庫をつくり、長期熟成焼酎の製造までこだわっているのには、さすがに驚いた。
ここまでとことんこだわった、芋焼酎はそうあるまい。ゲストハウスの洗練された空間の中で、鳥のさえずりや、川のせせらぎといった大自然の音色をバックに、一晩、こだわりの酒を飲み明かしたい。そんな至福の時間を思い浮かべながら、蔵を後にした。
万膳酒造
住所:鹿児島県霧島市霧島永水宮迫4535番外2。
大正11年創業。約30年、焼酎造りを休業していたが、1999年から4代目の万膳利弘さんが再開。すべての焼酎は黄金千貫芋を原料とし、黒麹仕込みの「萬膳」、黄麹仕込みの「萬膳庵」、白麹仕込みの「真鶴」が代表的3銘柄。