九州焼酎島

2017/02/28

蔵元探訪 | 寿福酒造場(熊本県人吉市)

筋肉モリモリ杜氏と肝っ玉母ちゃん

常圧蒸留一筋の「武者返し」

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歴史を感じさせるたたずまいの寿福酒造場と吉松良太さん

「球磨焼酎」と言えば、米焼酎だ。すっきりした呑口の減圧蒸留に時代が流れる中で、常圧蒸留の個性的でどっしりした味わいにこだわり続けた寿福酒造場。代表銘柄の「武者返し」には、女性杜氏の草分け的な存在である、寿福絹子さんの想いが詰まっている。母の意思を引き継いで、杜氏になった息子の吉松良太さん。「ボディービルでもやってるの?」と思うほど、筋肉モリモリの体で、焼酎造りへの熱い想いを語ってくれた。

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鍛え上げられた上腕二頭筋

いろんな蔵を回ったが、良太さんほどの“ガタイ”のいい造り手は初めて会う。「オフシーズンは週5日ぐらいジム通いしています。ベンチプレスは110キロぐらいだから、たいしたことはないですよ」と、39歳の杜氏は笑った。「蔵仕事が筋トレみたいなもの。うちの蔵は手づくりでやっているので、フィジカルが強くないとやっていけないですよ」

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鎧をまとったような背中だ

母が蔵の代表として旧姓を名乗っているが、「今さら寿福を名乗ってもね」と吉松性で通す。何となく始め、どっぷりハマっていったという焼酎造り。正直、家業を継ぐつもりはまったくなかった。高校卒業後、電気工事の会社に入り、3年勤めた。そして、1年フリーターとしてぷらぷらしていたという。「母を見ていて、焼酎造りの大変さがわかっていたので」

「球磨焼酎で常圧蒸留一筋はうちだけ」

女性杜氏として蔵の危機を乗り越えた寿福絹子さん

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寿福絹子さんは女性杜氏の草分け的な存在だ

絹子さんは25歳で焼酎造りの道に入り、現在69歳。蔵の苦しい時代を、当時は珍しかった女性の造り手として乗り越えてきた。「焼酎ブームでみんなが減圧蒸留に進む中で、うちは常圧蒸留にこだわった。でも、常圧の焼酎を酒屋さんは仕入れてくれない。正直、蔵は潰れると思ったよ」と絹子さんは振り返る。ピンチを救ってくれたのは、寿福の焼酎を愛飲していた昔ながらの個人客だったという。

「球磨焼酎で常圧蒸留一筋と言い切れるのは、うちだけよ」。そう力を込める母の想いを知っているから、良太さんも常圧にこだわっている。蒸留機を見せてもらうと、新品のようにピカピカしていた。

磨き上げられた年代物の常圧蒸留機

「きれいじゃないと微生物にもうしわけない」

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ピカピカに磨き上げた年代物の常圧蒸留機

「常圧蒸留機は新しい?」。そう尋ねると、実はとっても年代物で、何十年も使っているという。「毎日、きれいに磨いています」。蔵の中を見渡すと、仕込みのタンクもかめ壺もすべてきれい。かめの縁にもろみが、飛び散っていることもない。

「うちの蔵仕事で最も大事なことは、仕込み作業でも、蒸留作業でもなく、清潔な環境づくり。きれいじゃないと、焼酎を造ってくれる微生物に申し訳ない。古い蔵ですけれど、いかに気持ち良く、焼酎を造ってもらえるかを考えています」

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蔵の中は清潔に心がける

良太さんが蔵に入った時、一番に行った作業が蒸留機の清掃だった。部品を一つひとつ分解して、隅々まできれいにした。「大変すぎて、途中で後悔しました(笑)」。でも、その成果はあったという。

「武者返しは雑味がなくなったよね、と言われたことがあったんよ。造り方は同じなのに何でやろうと思っていて、『あっ!』と理由が浮かんだ。蒸留機の清掃だ!」と絹子さんは豪快に笑い、目を細めながら言葉を続けた。「良太は立派なもんよ。最高の杜氏です」

そんな母の声に「まだまだ、ですよ」と照れる良太さん。「でも、ようやく自分のつくる酒に自信が持てるようには、なってきました」

コンプレックスだった大卒の造り手たち

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「やればやるほど自分に返ってくる」。蔵仕事と筋トレは似ていると感じている。

芋焼酎も麦焼酎も、最近の焼酎蔵は、若手が台頭してきている。そして、東京農業大学などで醸造学を学んだ造り手は多い。「僕は大学に行って醸造を学んでないですし、そのことがずっとコンプレックスだったんです」

実は、コンプレックスを解消してくれるきっかけとなったのが、鹿児島や宮崎など大学で学んで蔵に入った若手との出会いだった。「昔は蔵の中にこもりっきりで、そんな姿がかっこいいと勘違いしていました。若い造り手さんに誘われて、焼酎のイベントに出てみて、カルチャーショックを受けたんです」

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蒸留した焼酎はかめ壺でゆっくり寝かせる。

それまでは、良いものを造っていればいいと思っていた。外に出ないから、どういう人が、自分が造った焼酎を飲んでくれているのか、想像できなかった。一方で、お客さんは「武者返し」はどんな人が造っているのか知りたかった。一方通行の焼酎造りだった。「蔵にこもるのは、自分の実力をお客さんにさらけ出すのが怖かっただけ」と知った。

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もろみの発酵は見飽きない。「わが子を見ているようでかわいい」と良太さん。

「もともと緊張しいなんで、お客さんの試飲する姿にドキドキ。でも、飲んだ人がすごく気に入ってくれて、リピーターにもなってくれて。自分のやっていることは間違っていない。そう確信を持てるようになったのは、ここ数年のことですね。やっと、コンプレックスを乗り越えられたように感じます」

「うちの焼酎が一番うまい!」

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「自分の造った焼酎が一番うまいと思うんです」

昔の杜氏は、大学などで学んでない。蔵の中で学んだ。良太さんには、母という最高の先生が身近にいた。「僕は器用じゃないんで、自分のところの焼酎しか造れない。でも、自分の焼酎が一番うまいと思うんです」

毎年、11月から翌年5月まで続く仕込み時期は、ほぼ休みがない。機械がほとんどない蔵だから、自ら動き回るしかない。重労働だ。だから、体も鍛える。常に全力だ。「そうしないと、お客さんとのいい出会いを求められない。お客さんの良い意見も、厳しい意見も聞ける土俵に立てない気がするんです」

不器用さが伝わってくるから、何だか応援したくなる。39歳の杜氏は、筋骨隆々の体で、きょうも蔵の中を動き回っている。

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寿福酒造場

熊本県人吉市田町28-2

0966-22-4005

1890年(明治23年)創業。代表銘柄の「武者返し」は地元熊本県産のヒノヒカリの新米を100%使用。常圧蒸留後、2年をかけて熟成させる。「米を炊いた時の甘い香りが、熟成させたら出てくるんです」と良太さん。濃厚なコクはお湯割りにすると最高だ。


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